五岳上人略歴
五岳上人は名を聞恵といい、文化六年(1809)豊後国日田郡渡里村(現日田市吹上町)長善寺の前房正念寺の小松恵禅の一人息子として生まれた。八歳のとき専念寺の養子となり、11歳で淡窓の咸宜園(かんぎえん)に入門。詩を広瀬淡窓に、書を貫名海屋に、画を田能村竹田に学ぶ。僧職のかたわら余技として画筆に親しみその詩・書・画がともに優れていたので『三絶僧』と称されるまでになった
明治以降、後の総理大臣「松方正義」や時の内務卿兼参議「大久保利通」「木戸孝允」等とも交わりがあり、上京して政府の要職に就いてほしいとの誘いがあったが、「人世無事」の詩を添えてそれを断った話は有名である。
また、松方公や大久保卿の手を経て上人の画が明治天皇の望むところとなり御物となったほどである。また、2003年には五岳上人が西郷隆盛と面会した時に書かれたといわれる肖像画が発見され話題となった。参考(西日本新聞・読売新聞)
西南戦争の惨状を詠んだ「熊本城下作」は五岳の代表作で、熊本城内の谷干城(たに・たてき)の銅像の台座に刻まれている。
数々の書画作品を作り、明治26年3月3日「いざ西へ向かいて先に出かけ候 そろそろござれ後の連中」の辞世歌を残し85歳で大往生をとげた。
| ホーム | ご案内 | 五岳上人 | 新納骨堂 | 墓地公園 |
|